第一幕「教育理念」 =キラキラ輝く”目”を育てる=
知能教育ドラマの始まり。
1965年、「頭の良い子に育てる」を目的に設立された社団法人英才教育研究所から、知能教育のドラマは始まります。この研究所設立の根底には、資源の少ない日本が世界で存在し続けていくには、マンパワー(人の力)しかない。その日本人の能力を高めるには、知能が著しく発達する幼児期の教育が重要であるという、伏見 猛弥所長(当時玉川大学教育学科長)の国家観・教育思想がありました。
研究所では、英才児に教育を「する」、英才児を「育てる」という、世界的にも類の無いシステムでしたから、毎時間必要となる教材開発には大変な苦労がありました。最初は心理学者のサーストン博士の知能7因子を基に開発。後にはアメリカの心理学会会長のJ.P.ギルフォード博士の知能構造(SOIモデル)を参考にしながら教材化が図られました。
毎週一つの知能因子を選び、全所員で因子を研究、地理・生物・民俗・世界のゲーム・数学・国語・音楽などの多方面からの検討を加えた上で教材を作り、次の週にその作った教材を使って実際に英才児に授業、終了後は報告書としてデータを蓄積していくという、知能因子の研究と教材化・実践研究検討が続けられたのです。ギルフォードの知能構造の全ての因子(行動の因子を省く)を一巡するのに約3年弱の時間を有したこの地味な研究は、実に30年以上も続けられました。
この英才児を育てようという教育実践は、戦後の混乱を極め右左にダッチロールする日本の教育を憂いていた幼児教育界の教師や父母の賛同を得て、知能教育として急速に広がりました。(マスコミも盛んに取り上げました。)しかし、伏見先生が日本の国を憂い、ギルフォード博士も知能教育は賢明な教育と賞賛していた教育も、時代を経ると共にその教育運動は徐々に輝きを失いました。
原因にはいくつかの理由が考えられます。一つには、伏見先生亡き後、教育として重要な知能の研究・実践・教材化の道筋が無くなり、最近新しく解明されてきた脳科学の研究成果を、知能教育として積極的に取り込む努力ができなくなったからです。(教育現代化の遅れ)
もう一つの原因は、日本における幼児教育の効果に対する考え方、科学的根拠の証明(エビデンス)が、IQ(知能指数)の得点や有名小学校受験の成功だけに限られているからです。最近のアメリカのペリープログラム40年にわたる検証結果では、その科学的根拠に生活保護を受けてない、犯罪歴がない等、社会的な面からも検証が加えられています。日本の社会も、どこの大学に入学したとか、医者や弁護士になったとかいっただけでなく、こういった幅広い社会的な面からの教育効果・科学的根拠の検証を考える必要もあるのではないでしょうか。
「新しい教育運動」としての「知能工作」
「知能工作」は、これまでの工作教育や知能教育とは異なっています。ただ作るだけが目的の「図画工作」ではなく、また、切って貼って評価するという「知能教育」でもありません。脳科学、心理学、教育学を統合した新しい教育「運動」です。
幼稚園・保育園児から、高齢者まで、知能工作は世代を超えて、楽しみながら「知能」を育てます。
「知能工作運動」に関する様々な取り組みはこちらからご覧いただけます。